阿国ゆかりの地巡り Part2&3     


 2005年3月例会「出雲の阿国」の運営担当サークルでは、担当集会中で阿国のふるさとに行ってみたいという声があがり、例会を前に運営担当サークルの有志を中心として阿国ツアーPART2を開催しました。
 賑やかで楽しい阿国ツアーによってみんなの気持ちが一つになり、盛り上がりも最高潮のうちに例会日を迎えることが出来ました。 そして第五回集会で、もう一度阿国ツアーに行きたい!!という声が担当サークルからわき起こり、な、な、なんと阿国ツアーPART3が開催されたのでした!!
今回はその阿国ツアーPART2とPART3のレポートとツアーの写真を掲載しますのでご覧ください。 今度は私たちの運営担当サークルでもこんな楽しいイベントが出来るといいですね。


〜 出雲路に阿国ツアー PART2 〜


 第2回担当者集会後、 出雲へ行って見たいネ・・・・という話がまとまり、3月8日(水) 「出雲阿国ツアー」 が決行となりました。
 天候にも恵まれ総勢26名がマイクロバスをチャーターして広島新幹線口を8時に出発。 途中、西区民センター前、 Aシティバス停前と寄り、楽しいツアーの始まりとなりました。ドライバー三浦友和さん、ガイド山口百恵さんという豪華キャストのツアーでした。 (つむぎの会の多田さんがガイド)
 私たちの希望の星、事務局の邦ちゃんよりスケジュールの説明があり、続いてやまびこサークルの山口さんから安土桃山時代とその文化についての興味のおこる素晴らしい講義を聞きながら一路出雲へ・・・
 
 バスが進むにつれて車窓の景色が白い世界へと変っていくのが「出雲阿国ツアー」にぴったりでした。
  最初に奥出雲 「たたら村」 の 「鉄の未来科学館」 に行きました。まだまだ残雪があり館
に入るのに雪かきをしなければいけないほどでした。高山寺サークルの高松さん、雪かきご苦労さまでした。 たたら村は寒かったのですが、大社近くでの昼食頃にはすっかり暖かくなり、おいしいそば定食をゆっくりいただきました。(我楽多サークルの松崎さん、予約の件ありがとう。)という具合にスムーズにツアーが進んでいきました。
  稲佐の浜を横に見て少し階段を登り、 風がここちよい高台に 「阿国の塔」 がありました。その塔は歌舞伎界の名門中村 ・市川両家をはじめ当時の名優の方達の寄付によって建てられ、 昭和43年に再建されたものです。 そこで全員の集合写真を撮りました。

 次に阿国が信仰を深めていた観音像二体がまつられている安養寺へ行きました。そこでは法事が行われていたため、 ご住職さまからのお話は無理でしたが、奥様から阿国遺品の手鏡と数珠を間近に拝見させていただきました。庭の紅梅と白い椿の花が印象に残るひとときでした。

  そこから少し離れた小高い場所に阿国の墓がありました。 さすが市民劇場の会員さん、 自宅よりかわいい手花を持参され墓所にそっと供えられました。 出雲大社鍛冶職の娘で大社の巫女で会った阿国、 京都四条で念仏踊り上演し、都中にその名を広めた阿国、 晩年は大社に帰り連歌庵で余生を過ごした阿国、 時がゆっくり流れる昼下がり、 個々に遠い昔の阿国を偲びながらの素敵なバスツアーでした。
                         (ラビットサークル 谷口)

                      


〜 出雲路に阿国ツアー PART3 〜
                   
                2005年5月15日(日) 参加者:25名

今回の行程 :9 : 00 広島出発 → 絲原記念館(仁多郡横田町)昼食 →        菅谷たたら →  山内生活伝承館(雲南市吉田町)→広島着

 
『出雲の阿国』の第5回運営担当集会で3月8日に続き出雲の阿国ゆかりの地巡り(前回ゆっくり見られなかった吉田町のたたらの里を中心)をする事が決定しました。

《絲原記念館》
  バスに揺られること3時間。 松江藩鉄師頭取御三家のひとつ、 絲原家に到着。「鉄師頭取」 「下郡上座役人(したごおりじょうざやくにん)」 を勤め、居宅は建坪約350坪床面積約500坪、部屋数約40を誇る大邸宅。 庭園は約360坪あり、 出雲流の造園として有名。 映画「絶唱」のロケ地にもなった。

 ここで昼食。山菜をふんだんに使った弁当。私達のために朝、山に採りに行かれたお店の人に感謝。庭を散策した後、吉田町の菅谷たたら・山内生活伝承館へ。


《菅谷たたら・山内生活伝承館》
 奥出雲、斐伊川の上流は古代から優れた砂鉄の産地として知られている。鉄穴流し(かんなながし)という方法で銑鉄を作り出し、砂鉄から製鉄する場所をたたらといった。その中心が、製鉄炉を備え付けた「高殿(たかどの)」である。高殿の完全な遺構は現在「菅谷」以外で見ることは出来ない。山内(さんない)とはたたら製鉄に従事していた人達の職場や住んでいた地区の総称である。

 「菅谷高殿」は大正10年、170年間の歴史を閉じたが、奥出雲の山奥で人々は伝統を守り、当時の生活を現代に伝え続けている。最後に見た田部家の蔵は当時の隆盛を感じさせたが、実際の作業に携わっていた人たちには大変な苦労があったようだ。それが静かな山間の村全体に漂っていた。

  『出雲の阿国』を観なければ訪れる事はなかったかもしれないたたらの里。お芝居の魅力を改めて実感しながら帰路についた。
                          (ユウサークル 木原)